インタビュー・体験談

大使館で働くということ。現場に立ったからこそ知った憧れの場所のリアルとは!?

川村颯さん
筑波大学に通う4年生。オランダにて留学をしながら、日本国大使館でインターンシップを経験。現在は筑波大学に復学をしている。

10年以上サッカーをやられていて、折角のヨーロッパへの滞在ということで、ここぞとばかりに様々な国で欧州サッカーを堪能したそうです!
今回はそんな川村さんに、大使館でのインターンシップとは、また外交官として働くとはどういうことなのか、お聞きしました。

POCWのマークの前で記念撮影をする川村さん

このページの目次

海外でインターンシップをしようと思ったきっかけ。幼き日のアメリカでの生活

幼い頃の境遇から生まれた海外で活動をすることへの興味

元々父の仕事の関係でアメリカに住んでいたことがあって、海外に行くことに関しては抵抗感は全くありませんでした。アメリカには小学生くらいの時に3年半くらい住んでいました。そういった経験を経て、海外へ行くことに自然と興味がわいていきました。そんな背景もあり、現在は大学でも国際系の学問を学んでおります。具体的に言うと国際法というものになります。国際的に取り決めがされている様々な条約に関して勉強をしており、国際法のゼミに所属をしております。ですので、海外でもそのような国際法に通ずるような活動や勉強を行いたいと思っていました。

欧州で生活をする準備

保険に関しては留学を兼ねていたので、受け入れ先の大学から指示があり、その保険に加入をしました。オランダの保険会社で、大学と提携していて少し保険料が割引になったようです。1年間で500ユーロだったので7万円弱くらいでした。留学は筑波大学の提携校でしたので形としては交換留学になります。事前にオランダ語は勉強しようとあまり思いませんでした。というのも、事前に調べたところ英語が喋れれば不自由なく生活ができるということでした。ですので今でも挨拶くらいしか分かりません。実際に生活をしてみると本当に英語だけで何不自由なく生活ができます。オランダ語を勉強している友達が言っていたのは、拙いオランダ語で現地のオランダ人に話しかけると、すぐ英語に切り替えられてしまうそうです。これはオランダ人の優しさからの行動なのかもしれませんが、本当にオランダ語を勉強したいと思っている人にとっては少し難しい環境ではあると思います。少し変な文法とか使ったらすぐ英語に切り替わってしまうらしいです。またサッカーをやっていたので、向こうでもチームに入ってサッカーができるようにサッカー用具一式と動ける恰好は持って行きました。ただ大学のチームはお金が結構かかるのに加えてインターンシップと練習が被るという危惧もありました。公園などで草サッカーは友達とよくやっていました。

興味から知ること。知ることから実践することへの挑戦。学んできた国際法の知識を実社会で使用するということ

実社会で自分の学ぶ分野がどう活きるのか知りたい

今回受け入れをして頂いたインターン先は、オランダ、ハーグに構えます、在オランダ日本国大使館となります。今まで大学などで勉強をしてきたことは主に理論でした。しかし、その理論が実社会でどのように運用がされているのか、座学だけではイメージしづらい部分が多々あります。そんな中で実際にその理論がどのように実社会の中で運用をされているのか、この身をもって経験をしてみたいなと思いました。

国際機関と日本を繋ぐ窓口

実はオランダのハーグには国際機関がたくさん集まっています。大使館といえば、パスポートを発行したりであるとか、そのようなイメージがあると思いますが、ハーグの在オランダ日本国大使館は各国際機関との窓口のような機能を持っています。そんな国際機関の中にOPCW(Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons)“化学兵器禁止機関”という機関があります。化学兵器禁止条約という条約の元で設立をされており、化学兵器の廃絶を目指して活動をする国際機関です。自分は在オランダ日本国大使館の中でも、そのOPCWとの窓口である、化学兵器禁止を担当している部署に在籍をしておりました。具体的には、化学兵器に関する、様々な報道が日々流されている中で、アメリカのこのメディアではこんな記事、ニュースが出ているといったように整理をして、それらに関するレポートを作ったりしていました。また不定期ではあったのですが、OPCWの本部で各締約国の代表が集まって、化学兵器をどのように廃絶するか、また最近で言うならシリアの内戦に対してどのような対処をするのかといった議題を話し合う国際会議が開かれます。そこに参加をして、議事をとり、外務省本省に電報のような形で会議の要旨を伝えなければなりません。自分はその電報の原案を作成する業務の補助を行っていました。このように官庁や官吏が打つ公用の電報のことを公電といいます。今現在オランダのOPCWではこのような話し合いがされているということを本省に伝えておりました。

OPCWの会議室

在オランダ日本国大使館でのインターンシップの内容。各国代表の答弁の内容を日本の外務省へ

在オランダ日本国大使館でのインターンシップという選択

国際法の研究に関してはオランダが非常に有名であるという事実があります。また外務省で働くとはどういうことなのか、外交官として働くとはどのような業務を行うのか、知りたいと思っていました。そんな中で調べたところ、外務省のホームページで募集をされているのがオランダの日本国大使館だったということも背景としてあります。自分自身でそのホームページから申し込みをして、面接等を経て合格をすれば受け入れをして頂けます。あまりインターンシップでオランダに来ようという日本人ががいないということや、募集されているインターン生がある程度国際法の知識を有さなければならないといった条件を持っているため、当時はそんなに倍率は高くなかったと思います。

在オランダ日本国大使館インターンシップ生の1日

9時から業務が始まります。並行して通っていた大学がハーグから遠かったこともあり、電車で40分くらいかけて9時までに出勤していました。出勤後最初に化学兵器に関するニュースや記事などの確認作業を行います。気になる情報があれば、それらをまとめて整理をします。また会議の時間にもよるのですが、午前中に会議があるときは午前中に会議に出席をします。会議は午後ある時もあるし、1日中あるときもあってまちまちです。会議後、会議の要旨をまとめ、公電の原案の作成を行います。ですので毎日の業務の時間は決まっていなくて、日によって業務内容やスケジュールは違います。自分はインターン生でしたので18時までに帰宅しないといけなかったのですが、それまでにできる限りのことはやって、出来なかった分に関しては引き継ぐという形を取っていました。

インターンシップで感じた、国際会議のリアル

実際に会議に出て、各国の代表者の答弁を聞くことが出来ました。それまではテレビとかでちらっと見たり聞いたりすることばかりだった場に実際に立ってみると、自分の知らなかった裏側がありました。正式な国際会議なのですが、ジョークが飛んだり、関係が悪い国同士では、時におたがいを批判したりしていました。外部の人は絶対に入れないような実際の外交の現場をみることができました。例えばシリアの問題ですと、どの程度の化学兵器廃絶が達成されているのかということは、OPCWのHPからオープンソースとして確認をすることが出来ます。しかしオープンソースとなるのは会議に上がったすべてではありません。オープンソースに書くような文言についても会議にて話し合っています。世界中に流される情報を作成する裏側を見ることができました。

専門分野の最高機関で働くことの大変さ

圧倒的に知識の量が足りなくて、最初は付いていくので精一杯でした。基本的には自分が必要であれば職員の方に質問などをして助けて頂きます。ですが皆さん会議などで御多忙なため、出来るだけ自分自身でわからないことなども調べます。それでも本当に分からないときにのみ職員の方に質問をしたりなど、助けを求めることにしていました。そんな中でも仕事はたくさん振って頂きました。

一緒に働いた、現場の外交官たち。大使館という環境

大学を卒業して外交官になったとしても研修等があり、研修が終わって日本でしばらく働いてから海外に行くのが基本です。ですので職場で最も歳が近かった人でも30歳くらいの方でした。基本的に年齢層は高めで40代50代の人たちが多かった印象です。外務省の本省は分からないのですが、オランダなどの在外交官となると、ヨーロッパ独特のいい意味での緩さというか、おおらかさもありました。オランダとの2国間での業務もあるのでオランダ人の方も職場におられました。民間企業に比べたら少し固い部分のあるイメージでしたが、自分が思っていたほどそうではありませんでした。インターンシップ中に職員の方に何回かはランチに連れて行って頂いたこともありました。ですが夜は自分は18時に帰るのに対し、職員の方々は残業が多く、なかなか夜ごはんを御一緒することは出来ませんでした。会議があった際など、本省に公電を送る際、時差の関係で夜中にやらないと日本の朝に届かない場合などがあります。

オランダでの生活。大好きなサッカーの最高峰が身近に!でも食事は…

インターンシップと両立していた大学生活

大学の授業数はそこまで多くなくて、講義の時間外の学習である予習などが重視されていました。週3回程大学に通い、大学が無い日にインターンシップに行っていました。大学では国際法の勉強をしていました。オランダはオランダ語が公用語なのですが、非英語圏の国々の中で、一番英語話者が多くいるらしいです。ですのでオランダ語は特にはやっていませんでした。授業も基本英語で行われていました。幼い頃にアメリカにいたこともあって、日常会話レベルでしたら英語には自信がありました。ただ法律などの専門的な話しになってくると、より高度で専門的な英語が必要になってくるため、言い回しや専門用語には苦労しました。また元々国際法は勉強をしていたのですが、化学兵器に関する知識はあまりなかったので、最初の方は自分で勉強をしていました。自分で勉強をしないと付いていけないと感じました。インターンシップ生の募集は化学兵器に関する業務であると公表をされており、OPCWが化学兵器禁止条約の元で設立をされているということで、自分が学んでいる国際法に通ずるものがあると思い、応募をしました。当時インターン生は自分ひとりで、インターンはあまり枠がありませんでした。自分の部署は3人で、基本的にはその3人で一緒に行動をします。インターンシップは無給でしたが、留学に対して奨学金を頂いていたので生活費はその奨学金で賄っていました。住んでいたのはユトレヒトという所です。オランダ自体が大きな国ではないので移動はそこまで苦ではありませんでした。移動は基本電車で、駅からはバスを利用します。

留学していた大学

オランダでの食事は…

ドイツは“ジャガイモと肉”というイメージがあると思いますが、オランダも基本そんな感じです。僕はそこまで好きにはなれませんでした。欧州の食事ってやはり太るのかなと思っていましたが、あまり食べなかったので、逆に痩せたくらいです。味が苦手だったのに加えて値段が高いこともネックでした。ただそんな中でもビールは安くて、よく飲んでいました。日本でもよく飲まれるハイネケンはオランダの会社です。なので凄く安くて、スーパーで330mlのビンで30円くらいでした。オランダ人の国民性として腹は満たせばいいということがあり、美食という考え方はあまりないようです。チーズは有名でゴーダチーズのゴーダはオランダの地名です。そんなオランダ料理の中でもクロケットという食べ物はよく食べていました。コロッケのような感じで中身はカニクリームコロッケのようなクリームが入っています。そのコロッケが自販機で売ってあり、小腹がすいたらよく買っていました。最初1ヵ月くらいは日本食が恋しいと思いました。でもその後はあまりそう感じませんでした。やはり現地で日本食レストランなどに行くと値段が高いので、あんまり食べようと思わないというか食べられませんでした。ですが、職場で職員の皆さんからおにぎりを頂いたりすることがあって、そういう意味では日本食を食べる機会も多くあったと言えるかもしれません。基本的には自炊をしていて、日本米は高いので、タイ米のようなものを買って炊いたりはしていました。ですが5人くらいでシェアハウスをしており、お米を炊くとキッチンを占領することになるので、気が引けてきてすぐ作り終わるパスタなどを作っていました。一緒にシェアハウスをしていたのは、オランダ人がいなくて、ロシア、インド、ベルギー、ラトビアの人達でした。オランダ人は内向的というか、オランダ人同士でまとまる傾向があって、オランダ人で外国人とシェアハウスしてる人は少ないと思います。

憧れの欧州サッカーが身近にある生活

休日はサッカーを観にったり、大学の友達と遊びに行ったりしていました。基本的にお酒を飲むことが多かったと思います。休日は日本にいたころと同じような生活を送っていたと思います。また他のヨーロッパの国々にも行きました。サッカーの有名な国である、イングランドやスペイン、イタリア、ベルギー、ドイツなど凄く近いです。バスで2~3時間でいけました。クリスマスといった長期間の休みを利用して旅行をしたりもしていました。留学生仲間はヨーロッパ圏内の子が多くて、クリスマスはみんな実家に帰ってしまいます。それで暇になってしまうので、近隣の国などに旅行に行きました。スペインとイタリアは食べ物が凄く美味しかったです。オランダとは違って、美食といいますか、ピザとかパスタとか、スペインならパエリアなど、日本人の口に合いそうなものが多かったイメージです。

休日のサッカー観戦

ヨーロッパの治安に関して

結構放任主義なので、行くことを両親から反対されたことはありませんでした。ただあまり迷惑はかけたくなくて、奨学金を取れたら留学しようかなと思っていました。多少テロなどは気を付けるようにと忠告をされましたが、無事奨学金も頂くことが出来て、オランダへ渡ることができました。現地で特に危険な目にあったということもありませんでしたが、イタリアのナポリというあまり治安がよくないところで荷物を盗られかけたことはありました。ですが誰かが、背負っていた自分のリュックの中からモノを盗ろうとしている最中に後ろを振り返り、防ぐことができました。日本が治安が良すぎるということもあるのですが、やはり軽犯罪は多いかなという感じなので、気を付けてはいました。実際盗られかけた荷物の中には大したものは入っていなかったのですが。(笑)

オランダの街並み

インターンシップを経験し、感じた変化

興味があった職場のリアルを体感し、見据える未来

1年間オランダにいたので、20年度卒になります。元々国際的なフィールドで働きたいと思っていた中で実際にインターンシップという形で現場を見てみて、華々しさがある半面で、泥臭い一面もあるんだなと思いました。外交官に元々興味があったので、現場の方たちにお話しを伺うと、なかなか大変だよということを仰っていました。それで憧れだった外交官に関しても、良い面悪い面両面から見直すことが出来るようになりました。しかし何にせよ将来的に海外で働きたいとは思っています。

海外インターンシップを迷っている人にひとこと!

自分の例でいうと、インターンシップの目的として外交の現場を見てみたいという気持ちがありました。そしてそれは恐らく日本ではできないことです。海外インターンシップをやろうと思っている人で、それが海外でしかできない業務だと分かっているのであれば、実際に海外に出て、現場で見て色々分かることがあります。是非実際に行ってみて、良くも悪くもリアルを体験してみてください。

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