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インドネシアにはたくさんの“日本好き”がいた!
今回は、インドネシアにて現地の子供たちに日本語を教えられている、安部さんにお話しを伺いました。
自己紹介をお願いします
北九州市立大学文学部比較文化学科の安部かりんです。22歳です。朝ドラが大好きです。
朝ドラの中ではどれが好きですか?
選ぶことが難しいのですが、「ごちそうさん」、「あさが来た」と「ひよっこ」の3つが特にお気に入りです。「あまちゃん」から朝ドラを見始めました。
今どのようなことをされているのですか?
今、日本語パートナーズというプログラムに参加をしていて、インターンシップなのかボランティアなのかどちらかに分類分けをするのが難しいです。ただ、国が行っているプログラムで、申し込みをして合格をしたら現地に派遣していただけます。そのような中で現地の学校で、日本人として日本語の授業に入って働くという形になります。インドネシアには、高校によって、第二外国語として英語に加えて日本語やフランス語などを勉強しなければならないところがあります。私は日本語を選択している現地の高校に派遣をされている形になります。ですので学校には日本語の先生がいます。インドネシアは日本語の学習度が世界で1番と言われています。インドネシアは様々な国から植民地化を受けていて、その名残で未だに学校で日本語やフランス語を勉強しなければならないという背景があります。
どのくらいの年代のこども達に教えているのですか?
今は高校1,2,3年生に日本語を教えています。1年生は本当に初学者なので、ひらがなや挨拶から始まります。2,3年生になるとだんだん会話のレベルも上がってきて、簡単な日本語が話せるようになるので、それに伴って授業のレベルも上がっていきます。私は授業の中で先生の手助けや日本語の発音の見本をしたりしています。日本人として生徒と触れ合う、という感じです。また日本語クラブのようなものが高校にひとつは必ずあるので、そこで更に文法だけではなく、一緒に日本のご飯を作ったり、日本の文化を紹介したりしています。私は日本の国際交流基金によって派遣をされているので、その国際交流基金が関わるイベントなども手伝いもしています。例えば、以前お手伝いしたのは、ジャカルタで開催された「日本まつり」というものです。日本の企業がブースを出展したり、歌手のキロロさんがインドネシアで凄く有名なので、キロロさんのライブがあったりなど日本の有名なミュージシャンも出演しました。また日本の伝統的なダンスの披露など、日本の文化を紹介するコーナーがあったりします。そのまつりの中で国際交流基金もブースを出していたので、ボランティアで書道や折り紙を教えたりしました。
“日本語パートナーズ”という選択肢
日本語パートナーズに申し込みをしようと思ったきっかけはあるのですか?
きっかけは、私の学科に日本語教師の養成課程というものが単位としてあったことです。一般的な教職とはまた違うのですが、日本語教師という資格を取得するための単位が取れます。日本語教師は教職のように日本で大きな影響力は無いのですが、専門学校で日本語教師を目指して学ぶか、日本語教育に関する検定を受けて合格する必要があります。日本語教師として、従事する際に一種の証明となります。私は大学1年生の時に教職を取ろうかと考えた時に、教えることは好きなのですが、学校の先生は多忙そうだなという印象を持っていました。そこで日本語教師養成課程、若しくは博物館秘書の資格を取ることができるということで、折角なら日本語教師の資格を取ってみようと思って取得を目指し始めました。そうやって取り始めた時に、先輩や日本語教育の先生に出会ったり、日本語パートナーズというプログラムに実際参加をした先輩とも話しをする機会がありました。ですので1年生の時、日本語パートナーズを知ってからずっと気になってはいました。それが一番初めのきっかけです。そこから1年生の夏休みにJAPF(ベトナム・カンボジアで行われるスタディツアー)に参加をして、東南アジアに関心を持つようになりました。日本語パートナーズは、東南アジアの中でもっと日本の文化を発信していく、という使命があります。私は日本語教育を学んでいるし、これはぴったりだなと思い、また海外で生活をしてみたいとう思いもあり、応募を決意しました。インドネシアは規模が大きい分、募集派遣人数もとても多いです。だから、合格可能性も高いということや、休学に際する期間の問題もあり、インドネシアを選びました。
日本語パートナーズというのはどのような選考過程があるのですか?
書類審査と面接がありました。私の場合は福岡県枠という制度を使って応募をしました。だから少し特殊ではあるのですが、福岡の文化をどのように広めていくか、というような質問が面接であったりもしました。「福岡枠」で合格を頂いたので、福岡の文化を広めるという任務も持っています。
始まったインドネシアでの生活!
現地で日本語を教え始めて今どのくらいなのですか?
今日本語を教え初めてから2か月くらいです。最近ようやく慣れてきたという感じです。月曜日から金曜日に学校で授業のサポートを行っています。1週目は1年生のクラス、2週目は2年生のクラス、3週目は3年生、のような形で入らせてもらっていて、順繰りしていく感じです。時間は日によってばらばらです。学校は朝の7時から始まるのですが、私の住んでいるところから学校まで1時間くらいかかるんですよ。なので、早起きして行かないといけないときもあるし、授業が昼からの日はその時間に合わせる、といった風に普段は出勤をしております。家から学校までうまくいけば30分くらいで行けるのですが、3回乗り換えしないといけません。アンコットというバスのようなもので移動をするのですが、それも動いたり動かなかったり、また渋滞もひどいので、様々な要因から結構時間がかかります。Grab(配車アプリ)も使えるのですが、アンコットの方がはるかに安いので、アンコットを使います。半額くらいだと思います。アンコットはバスなのですが、車を改造してあるという感じです。乗りたい時に手を上げると乗ることができるし、降りたい時も手を挙げれば降りることができます。バスではあるですが、日本のバスとは少し違う感じです。
今の仕事の中でやりがいを感じるのはどんな部分ですか?
日本に関心を寄せてくれている人が自分が思っていた以上に多くて、やはり漫画やアニメの影響が凄いと思います。そんな中で自分が日本人として行くと、喜んでもらえたり、日本語を純粋に勉強したいと言ってくれる子もいたりします。そのような子たちを見ると、自分が派遣された役割、意味や目的を果たそうという気持ちになりました。また、先生方も日本に行ったことが無いのにも関わらず、日本語を喋れたり、ドラマが好きだったりして、日本人として自分が関わることによってもっともっと日本を好きになってくれたらいいなと思います。
大変だなと思うことはありませんか?
最近やっと慣れてきたという感じなので、生活が大変です。空気や生活リズムといった環境も違います。そういう面でストレスを感じていたみたいで、全人に蕁麻疹が出たりしました。最近少し慣れてきて、だいぶ良くなってきたというのはありますけれど、慣れるまでは知らぬ間にストレスを感じていたようです。いきなり蕁麻疹が出てびっくりしました。また毎日アンコットに乗るとき、1回30円払わないといけないのですが、最初にインドネシアに来た当初は言葉も分からないし、慣れてないので、多めに請求をされることもありました。私は30円だということも分かっているので、きちんとお釣りをくださいと伝えたいのですが、言葉もなかなか通じなくて、そのまま流されることも多くありました。最近は、慣れてきたこともあって堂々としていたり、言葉も以前よりは通じるようになったのですが、結構その毎回毎回のストレスは大きかったです。「この人は信じられるのか」「今ぴったり無いけど、ちゃんとお釣りはくれるのだろうか」という疑心を抱くことが毎日必ず1回か2回はあったので、個人的にはそれが少し辛かったと思います。たかが10円20円なのですが、これから毎日乗っていくわけですし、日本でバスに乗ってお釣りが返ってこないことは基本無いので。まだ2か月くらいですが、環境は負荷がかかるなという所感です。
インドネシア語は勉強してから行ったのですか?
インドネシアでは言葉は基本的にインドネシア語が広く使われています。インドネシアに来る前に1か月程の研修があり、その中に言語の授業がありました。ただ、実際現地に行ってみると、通じないなということがたくさんあります。日本語授業に関してはインドネシア人の日本語の先生がいるのでその先生に通訳をしてもらうことも出来ます。ただ授業以外の廊下などでインドネシア語を求められることもあるので、勉強はしています。
インドネシア語は難しいですか?
覚えれば、使いやすい言語だと思います。ですが普通人ってあんまり外国人に対しての話し方って分からないと思うんです。だから、現地の人たちの話し方の中には、言葉を省略したりとか、語尾に知らない言葉がついていたりします。事前研修で勉強して行きましたが、そういうことがあるので現地に行くとよくわからないなということが多々あります。でも決して難しくはないと思います。きちんと話せば理解してもらい易いです。
インドネシアの中でもどこに滞在しているのですか?
ジャカルタから車で2時間くらいのところにある、ボゴールというところです。私が派遣されているところは少し田舎です。ですが、少し車を走らせたら、大きめのモールがあったりします。インドネシアの他の地域を見ていないので、他の地域と比べてどうなのかと言われると説明が難しいですけれど、信号機に関してもある道もあれば、無い道もあるという感じです。
食事は自分で作っているのですか?
お昼は学校から頂きます。それ以外は自分で作ったり食べに行ったりします。
インドネシア料理を作るのですか?
ジャカルタに行ったときに日本の調味料を手に入れたので、味噌汁や簡単な日本の料理を作ったりもします。ただこっちに来て、鍋でお米を炊くようになりました。鍋で米を炊くのは最初は難しかったです。何回も失敗して、黒焦げのご飯を食べました。インドネシア料理は自分で作るのは、やはり少し難しいです。インドネシア料理は美味しいのですが、現地の方々はすべての食べ物にサンバルという辛いソースをかけます。でも私は「どうして!?」って思います。(笑)かけない方が美味しいのにって。やはり辛い料理が多いと思います。現地のひとたちは本当に辛い物が好きなんですよね。学校で生徒からもらったお菓子でさえ辛かったです。インドネシアの食べ物は揚げ物が多いのですが、既にスパイスがかかっていたりとか、唐辛子刻んで入っていることとかが多いですね。インドネシア料理の中ではソトアヤムという鶏肉の入ったスープが好きです。
僕が住むベトナムは作らずに外で食べる人が多いのですが
インドネシアもそうだとは思います。外に食べに行っても良いのですが、量の調整も難しいですし、料理をすることが好きなのかもしれません。(笑)アンコット代のために小銭を集めないといけないですしね。
渡航する際必要だったのは、一番の理解者に、自分の考えをきちんと伝えること
現在保険は入っていますか?
入っています。日本語パートナーズから決められたモノに入っています。
インドネシアに長期で滞在することに関して、御両親の反対は無かったのですか?
それに関して私の家は凄く厳しかったです。就活の時期もあるので、本当はもっと早く行きたかったのですが、なかなか了承を得ることが出来ませんでした。1年生の時からこのプログラムのことは知っていたので、伝えていたつもりだったのですが(行きたいという意思を)。本当に何回も話して、時には涙もありました。
1年生のころから行きたいなという話はされていたんですね。
あまり詳しくは覚えていないのですが、最初JAPFでカンボジアに行った時はツアーだからという理由で了承をしてもらいました。ツアーにそれなりにしっかりとした保証があったのが大きかったと思います。ツアーの引率もしたのですが、その時も反対を押し切った形でした。そうやって東南アジアの国に訪れることが増えるにつれて自分だけで色々な国々へ行きたいなと思うようになっていったのですが、凄く反対されました。ですので、私は色々なプログラムなどを探して、どうにか海外に行くという方法を取りました。去年もマレーシアとミャンマーに行ったのですが、旅行で行ったら反対されるので。良さそうなプログラムを探して参加しました。ただJAPFのツアーの引率は2回続けてやらせてもらって、毎年海外に行こうと何となく決めていたのですが、JAPFのツアーの引率を2回も経験させてもらって、カンボジアに合計3回行ってみると、違う東南アジアも見てみたいなと強く思うようになりました。そして、福岡県庁がやっているプログラムに応募して、マレーシアやミャンマーに行きました。マレーシアやミャンマーでは、福岡県庁がやっているプログラムに参加をしました。福岡県庁という信頼性があったのは私にとっても両親にとっても大きかったと思います。現地の会社などを訪問したりしました。費用も安く済みますし、旅行とかでは行けないような場所にも行くことができました。
そこからインドネシアに行くことに決めたのですね。
そんな風にミャンマーやマレーシアに行って、ますます日本語パートナーズのプログラムに参加をしたいなと思うようになりました。そして、両親の説得を試みました。もし私と同じような立場の人がいたら伝えたのですが、意見の衝突はあれど自分の親です。もちろん自分のことを思って心配してくれてるし、自分が親の立場だったら絶対に心配すると思うんです。今の自分達の親の世代って今の自分達ほど、海外との距離が近くなかったと思います。特に東南アジアに関してはまだ危ないとか、危険なイメージがどうしてもあると思うんです。それはもう仕方がないし、そこに関しては私達も理解をすべきかなと思っています。逆に親が何を心配しているのかをきちんと把握して、それに対して、的確な答え、納得のいくような答えを説明することが一番大事なことだと思いました。というのも、私が最初に行きたいといった時に、凄い反対されて、何を言っても反対されて、それでこっちも「何を言っても反対するじゃん」という感じになってしまいました。「何を言ったらいいのか、そんな頭ごなしに反対をされても分からない。どうせ最初から承諾する気は無いんだ」という風に思ってしまいました。そんなことがあったのですが、その時親に「その程度の気持ちなのか」ということも言われました。その言葉によって自分の中で少し心に余裕が生まれたんですよね。いくら口でダメだと言っていても、どこかで我が子を行かせてあげたいというスキマがあるんだなと思いました。そこで改めて考えなおしました。今までは「~なプログラムがあって、~なことをするのだけど、行きたいと思う」ということしか伝えていなかったのですが、もう一度色々と調べなおし、知人から聞いた情報をただ伝えるのではなくて、資料等を実際に自分の目で見て、プログラムにはこんな保障があって、こんな目的があるんだということを細かく説明しました。自分の気持ちに関しても「私はカンボジア等に今まで行ってきて、色々な話しも聞いて、~な気持ちがあって行きたい」という風に説明しました。そんな風に説明の仕方を変えたら、折れてくれたというか、こちらに少し歩み寄ってくれました。だからもし反対されたとき、行きたいという気持ちだけじゃなくて、相手を黙らせるくらいの熱量や説明、歩み寄りを諦めちゃいけないなと思いました。
親のニーズをしっかりと理解することが大事なことなんですね。
たぶん自分自身は色々なことを考えていて、その(留学など)後これがしたいあれがしたいという構想があると思います。でも親といっても人間であって、言わないとそんなこと分かりません。客観的になったとき、受け入れ先が親も知らなかった会社で安全なのかもよくわからないし、この子はどんなことを考えているのか、本当に安全なのか、やはり親なら心配するのかなと思います。
海外で活動をすることに迷っている人にひとこと!
個人的に思うのは、ある程度何とかなるさという気持ちを持つことの重要性です。海外で仕事をしたり、生活をするうえで、生活リズムや環境、人柄の違いや問題は間違いなくあります。その時は「日本人だったら…」という土俵は捨てて、その国の色にリスペクトを持って臨むべきだと思います!もちろん日本人としてのマインドを捨ててはいけないと思いますが、衝突するのではなくて「何とかなるさ」、「そんな考え方もあるんだ」という調和力を身に着けると過ごしやすくなると思います。
さいごに
海外に行く方法というのは実に多様で様々な方法があるんだなと思いました。また海外に行く前に色々な試練があっても、諦めないことが大事なのだなと思いました。一番の理解者だからこそ意見に対する反論はある。でもそれは反対なのでは無く心配なのであって、例え相手が親であっても、相手のニーズをしっかりと捉え、ニーズに合わせて自分自身の言葉で説明をするべきなんだなと気付かせて頂きました。