こんにちは、キャライズ編集部のKです。
お陰様で最近少しずつ、記事を読んでくれる人が増えてきて、嬉しく思っています。
海外インターンシップを経験された学生さん、また現在社会人となって活躍をされている方々などインタビューを受けて下さり、ありがたい限りです。
まだまだ未熟な私ですが、このタイミングで自分が感じたことを言語化しておこう、しておくべきだと思ったので、言葉にしようと思います。
多種多様な海外体験の仕方
僕は編集日記のVOL.1でも書いたとおりに、僕はたくさんの人々に良質な機会を提供したいという想いから、色々な活動を始め、そしてこのキャライズというサイトを通じて、海外での経験や、情報を伝えたいと思い運営をしています。
まだまだ駆け出しながらもありがたいことに色々な人たちに話しを聞かせて頂いて、
海外インターンシップも留学もボランティアも何でも、めちゃくちゃ多様だな…
って思わされる日々です。(笑)
もうタグ付けしたらきりがないくらいに色々な形態、目的、国の海外体験の形があります。
先日は遂に南米でインターンシップをされた方と出会うことが出来ました。私の中の海外インターンシップ経験者と出会う旅はどんどん世界が広がっています。
また遂に、同じ国、同じ職場の海外インターンシップを行っている学生と出会うという”被り”も出ました。
この世界にたくさんの国々があり、無数の職場がある中での被りは自分の中で新鮮でしたし、早かったなというのが感想です。(笑)
人それぞれ持っている活動のきっかけ
そうして色々な方々にお話しを聞き、色々な質問をしてきました。
そんな中で必ず聞く質問があります。それは…
「あなたが海外インターンシップをしようとおもったきっかけ、その分野を勉強しようと思ったきっかけはなんですか?」という質問です。
それは人それぞれ多様なきっかけが存在します。
きっかけはその人の物語のプロローグであり、スタートをするために必要不可欠です。
十人十色、それぞれの物語が存在します。
ただ、お話しを聞く中でふと気づいたことがあるんです。それは
今大学生や大学を卒業して何年かの方たちを動かしたきっかけの中で結構高確率で「東日本大震災」が登場することです。
2011年の3月11日。
思い返すと僕はまだ中学生内容2年生で、その日は卒業式だか、卒業式の練習だかで帰るのが早く、友達が家に来ていたことを覚えています。
テレビをつけ、九州からは少し遠いところで起きている光景を呆然とただただ見ることが出来ませんでした。
当時の僕は、あの画面に映っていた、現実とは少し乖離した光景に恐怖を覚えるくらいしか出来ない無力な中2でした。
でもそんな僕とは違って、
文系だったのにも関わらず、専門分野を原子力分野に変え、勉強を始めた学生
ボランティアを通じて”資格”の必要性を感じ医療分野を学び始めた学生
人は病気以外でも簡単にいなくなってしまうことを知り、悔いの残らない人生のために歩み始めた学生
最近話しを聞いた中でもこんなにも震災をきっかけとして動き出した若者がいたんです。
震災当時、その勤勉さや礼儀の正しさから世界中で称賛を浴びた日本。
でも、そこから動き出し、例えまだ表に出ていなくとも、歩み始めた若者がたくさんいたんだということを僕は知って、そして日本人であるということを改めて誇らしく思っています。
僕の今に至る原点、スペイン
同世代くらいの学生さんがそのように動き出した中で自発的に動き出すことが出来なかった自分がいるなと思った反面、例え自発的では無かったのかもしれないけれど、
僕が今こうして海外に関心を持っている原点、それもこの震災だったんですよね。
2011年のこの震災の直後、僕が当時所属していたサッカーチームでスペインに遠征に行くことになっていました。
もちろん、国内がこのような状況の中で、サッカーをしていてよいのか、まして国外に遠征などすべきなのかという議論はありました。
けど、当時の僕のチームの監督は僕らをスペインへ連れて行くという決断をされました。
思えばそれが僕の初めての海外体験です。
初めてのパスポート、初めての国際線、初めての街、風景。それらすべてが新鮮で、今でも脳裏に焼き付いています。
もちろん、サッカーでの印象も強く残っています。年下なのに身長が1.5倍くらいある選手、相手選手で前の日にはいたのに次の日にはいなかった選手。あとで聞くとそれは、上のチームに上がった選手と逆に落ちてしまった選手だったそうです。
初めての海外は僕にとってあまりに刺激的だった。
でも、そんな中でも僕が今でもこんなに海外に執着する根幹となっている出来事があります。
僕たちのチームは、震災の際に支援をして頂いたスペインという国に恩返しがしたいと思い、胸にスペイン語でありがとうという意味の「gracias」と印刷をしたTシャツを作っていきました。
そしてスペインのプロ1部リーグである、リーガエスパニョーラの試合前のセレモニーとして、ピッチに立ち、Tシャツを着て、日の丸を掲げるという機会を頂きました。
FCバルセロナ対ビジャレアルというカードでした。
そしてピッチに立ち、挨拶をした瞬間。断言できます。あの瞬間が僕にとって人生でいちばん感動した瞬間です。
会ったことも無いたくさんの人たちが僕らに惜しむことのない拍手を贈ってくれました。感謝の気持ちを伝えているはずでしたが、ここでも僕たちはたくさんの人々に声をかけて頂き、かけがえのないものを頂いたんです。
僕は日本という国に生まれて、本当に良かったと思った瞬間でした。
先人たちが積み上げてきてくれた日本というブランド、それは本当に誇らしいもので、僕らはそんな日本という国に生まれている。
今後の日本を生きる自分が、そんなブランドを廃れさせてはいけないと強く思いました。
日本が素晴らしい国だと、改めて気付かせてもらえたのは海外に出たからでした。
そこからぼんやりと、もう一度いつかは海外へ行くと思っていましたね。
そんな風に思い返すと、僕の海外への想いの原点は、やっぱり東日本大震災にあり、大好きな日本という国のために活動がしたいという想いの根幹です。
それぞれやり方は違えど、あの災害で何かを感じ、動き出した人間がたくさんいます。
意識してはいませんでしたし、感じたというよりは感じさせられたのですが、僕もその一人で今に至ります。
あの経験があったから、あの瞬間があったから今の僕があります。
どうしたら日本という国に、日本を作ってきた先人たちに恩返しができるのか、模索しながら生きている次第です。
そんな僕を形作ってくれた海外体験をたくさんの人々に届けられるように、これからも走っていきます!
よろしくお願いします!!
K